aug Lab

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右腕神経叢損傷(みぎわんしんけいそうそんしょう) その2 ~神経をやってしまって実際に辛いこと~

前回 右腕神経叢損傷 - aug Lab の続きです。

事故にあってから早4ヶ月、手術を受けてから2ヶ月半が経ち、状態がひと段落落ち着きました。 とは言っても、まだ術後の神経のパスはまだできていないので、右腕は動かずにぷらーん、な状態です。

退院してから時間があるのをいいことに、いろいろな人と飲みに行ったりしていたのですが、 人と話しているうちに割と疑問に持たれたのが、「腕の神経が根元から損傷している症状」って実際にどんなものなの? ということです。

実際のところ、人によっては腕の骨折と似たようなものという認識の人が多かったのですが、 想像されているよりもめんどくさいので、ちょっとまとめてみようと思います。

右手が使えなくなって

利き手である右手が使えなくなり、左手一本で生活するのは結構大変ですが、 頭を使えば割とどうにかなるものでした。 割と箸はすぐに使えるようになり、なんだかんだで文字やタイピングも練習したらした分だけうまく使えるようになるので、 利き手の移行は時間の問題だけな気がします(ちゃんと練習しないとお話にはなりませんが)。

それよりも痛感したのが、片手しか使えない状態での不便さです。 人間の社会は当然ながら両手でものが使える前提で成り立っているので、

  • 料理できない、工作できない
  • 洗濯物干すのしんどい
  • 容器の固定ができないから食事がしんどい
  • 雨が降った時の傘で手が完全にふさがってしまう
  • 本を読むのが地味にしんどい
  • 右手用のマウスが使いにくい
  • 書類の整理が難しい

などの不便なことが出てくるため、慣れるまでは一人で生活するのは難しかったです。

不便さは工夫と慣れと諦めで2~3ヶ月ぐらい生活していると、「まぁ、こんなもんだろう」 ぐらいにこなせるようになります。

腕神経叢損傷した腕の状態

右腕が使えない状態は他の怪我でもなりうる状態ですが、神経が脊髄から引き抜けた腕神経叢損傷と なかなか聞きなれない症状なので、それ故の症状というものはあります。

改めて怪我の状態を説明すると

脊髄から腕に伸びている5本の神経のうち、上から3本の運動神経が脊髄から引き抜け、
他の神経もダメージを負っている状態。
この損傷により、感覚は腕全体にあるものの、肩を動かす筋肉と肘を曲げる筋肉が機能せず、
麻痺による痛みは腕に残っている。

というものになります。

右腕が全く動かせない状態なのですが、腕の神経の大本から死んでしまっているため、 ただ自分の意識で動かせないだけではなく、無意識でよしなに調整してくれる筋肉も動かないので、 本当に腕の形の肉塊がぶらーんとぶら下ってる状態でした。 すごく想像しにくい状態だとは思いますが、例えるならば 肩からヌンチャクをぶら下げている状態に近いかもしれません。

そんな状態でしんどかったことを列挙してみます。

  • 運動すると慣性に逆らえずに腕が暴れてしまうので、運動がほぼできない
  • 寝返りをしようとしても右腕がついてこないので寝返りができない
  • 腕全体にしびれが残り続けている 親指と人差し指はなぜか特に強い
  • 肩はすくめる運動しかできず、開いたり腕を上げたりは全くできない
  • 肩に腕そのものの重さがかかってくるため、結構痛くなる

この中でも特に辛いのは腕の痺れです。 痛みにも波があるため、普段は全然耐えられる程度には弱いのですが、 つよい痛みが来るとなかなか他のことに手がつけられない程度には苦しみました。 痛みもしびれと言うよりは、個人的に熱のないやけど、と表現するのが近いように思います。 寒さや気圧の影響で強く痛み出す頻度が多い日があったり、寝ようとしているタイミングで痛み出すと、 なかなか寝付けなかったりします。

事故直後は指もまったく動かなかったのですが、なんとかそこそこ動くようにはなっていますが、 手のひらを返す動きがかなり弱いので、まだまだ使い物にはなってくれない感じです。

これから

手術後、移植した神経にパスが通り、使えるようになるため3~6ヶ月くらいかかると言われており、 今はパスが通るまで待っている状態となります。

待っている過程でも、ほんのちょっとずつではありますが、肩周りの安定感が出てきたり、 包帯で固定していたために動かなくなっていた筋肉が伸びてきたりなど、微々たる変化はあるといえばあります。

やはり神経の怪我は言われた通り回復に時間がかかるため、気長にリハビリに取り組んでいく必要があるようです。

(*追伸: 今回の件で家族の大切さを思い知らされましたが、本当に一番辛い問題は介護の際に親とのいざこざで生じた出来事でした。)