右腕神経叢損傷(みぎわんしんけいそうそんしょう) その3 ~術後経過観察~
すごくお久しぶりです。更新しようしようと思いながらもやらずにダラダラしてたら、気付いたら前回の記事から1年と8ヶ月経っていました。時の流れって早いですね... orz
この期間には色々とメンタルが削られることが盛りだくさんで、精神的に強くならないと生きていけないイベント目白押しでした。詳細が聞きたい人は飲みに誘ってください。
今回は右腕神経損傷の症状の振り返りと、手術後の経過観察をまとめていきたいと思います。
症状の振り返り
前回からの引用です。
脊髄から腕に伸びている5本の神経のうち、上から3本の運動神経が脊髄から引き抜け、 他の神経もダメージを負っている状態。 この損傷により、感覚は腕全体にあるものの、肩を動かす筋肉と肘を曲げる筋肉が機能せず、 麻痺による痛みは腕に残っている。
http://www.ogoridaiichi.jp/wansinkeisou/ こちらのサイトの情報を使って説明させていだだくと
- 第五頸髄神経 (C5 肩の運動) : 引き抜け
- 第六頸髄神経 (C6 肘の屈曲) : 引き抜け
- 第七頸髄神経 (C7 肘の伸展, 手首伸展) : 引き抜け
- 第八頸髄神経 (C8 手指屈曲) : 損傷
- 第一胸髄神経 (T1 手指運動) : 損傷
ここに付け足すとすると
- 一番最初は指も全く動かなかったが、1ヶ月ぐらいで動くようになった
- ただし、握るくらいがせいぜいで、ものの操作はおろか、つまむのも困難
- 感覚神経も損傷しているため、慢性的に痺れがある
- 痺れが強い時は熱のないやけどのような感覚
- 親指・人差し指の痺れが特に強い
というのが加わります。
手術内容
神経交叉移行術
肋間神経を合計5本採取し、
- 肘屈曲
- 腕を開く動き
- 脇を開閉する動き
を再建する
術後の経過観察
17/1月 ~ 2月中旬
手術後の神経が完全にくっつくまで右腕を胴体に包帯で完全固定していた。
17/2月中旬 ~ 6月
包帯での完全固定はする必要がなくなった。三角巾で右腕を釣っている状態。 右腕の動きは全くない
17/6月~12月
筋電図で上腕の肘屈曲を行う筋皮神経の波形を確認できるようになり、徐々に肘が曲げられるようになる。 肘は曲げられるようになるものの、角度をつけることなどはできず、胴体の前の範囲で曲げられるだけである。
18/1月 ~ 7月
筋電図で脇を開く動きを作る筋肉と、腕を開く動きを作る筋肉の波形を確認できるようになる。 しかし、動きは全く現れない
18/8月 ~ 11月現在
脇を開く動きを作る筋肉と腕を開く動きを作る筋肉の動きが少しずつ出てくる。水中では明確に動きが確認できる。
という推移で筋肉の動きが再建されていった。 肘屈曲に対して、脇を開く動きと腕を開く動きがなかなか筋電図で波形が取れなかったのは、移植した肋間神経が長いため、神経が繋がるまで時間がかかったのと、肘の動きは前腕の重さだけでいいものの、肩の動きは前腕+上腕の重さを動かす必要があるため、そのぶん時間がかかってしまいます。
現状右腕でできることと所感
- 胴体をうまく使いながらであれば、1kg以下のものは持つことができるが、長時間持っていると腕がつりそうになる
- 肘の動きが全くなかった頃は服を着るのにかなり苦労していたが、ちょっと前腕の位置を調整できるようになるだけで、かなり服は着やすくなった
- 神経がつながれば繋がるほど、上腕に触られると過敏に反応し、強く痺れが走る
- 低気圧や急な温度変化によって腕の痺れが強くなる
- ひどいと頭痛なども併発するようになった(怪我する前は低気圧と無縁の人生でした)
- リハビリはお風呂の中でやるのが一番効果的
- 可能なかぎり自分でできることをやらないと色々と人間関係に問題が生じる
おわりに
症状としてはだいぶ安定してきており、右腕に不自由を抱える生活にだいぶ慣れてきております。 人間やればどうにかなるものですが、それをするためには相当の覚悟と決意が必要になってきます。 障害者として感じたことについてはいろいろと語りたいのですが、長くなるのでまた次の機会に〜
右腕神経叢損傷(みぎわんしんけいそうそんしょう) その2 ~神経をやってしまって実際に辛いこと~
前回 右腕神経叢損傷 - aug Lab の続きです。
事故にあってから早4ヶ月、手術を受けてから2ヶ月半が経ち、状態がひと段落落ち着きました。 とは言っても、まだ術後の神経のパスはまだできていないので、右腕は動かずにぷらーん、な状態です。
退院してから時間があるのをいいことに、いろいろな人と飲みに行ったりしていたのですが、 人と話しているうちに割と疑問に持たれたのが、「腕の神経が根元から損傷している症状」って実際にどんなものなの? ということです。
実際のところ、人によっては腕の骨折と似たようなものという認識の人が多かったのですが、 想像されているよりもめんどくさいので、ちょっとまとめてみようと思います。
右手が使えなくなって
利き手である右手が使えなくなり、左手一本で生活するのは結構大変ですが、 頭を使えば割とどうにかなるものでした。 割と箸はすぐに使えるようになり、なんだかんだで文字やタイピングも練習したらした分だけうまく使えるようになるので、 利き手の移行は時間の問題だけな気がします(ちゃんと練習しないとお話にはなりませんが)。
それよりも痛感したのが、片手しか使えない状態での不便さです。 人間の社会は当然ながら両手でものが使える前提で成り立っているので、
- 料理できない、工作できない
- 洗濯物干すのしんどい
- 容器の固定ができないから食事がしんどい
- 雨が降った時の傘で手が完全にふさがってしまう
- 本を読むのが地味にしんどい
- 右手用のマウスが使いにくい
- 書類の整理が難しい
などの不便なことが出てくるため、慣れるまでは一人で生活するのは難しかったです。
不便さは工夫と慣れと諦めで2~3ヶ月ぐらい生活していると、「まぁ、こんなもんだろう」 ぐらいにこなせるようになります。
腕神経叢損傷した腕の状態
右腕が使えない状態は他の怪我でもなりうる状態ですが、神経が脊髄から引き抜けた腕神経叢損傷と なかなか聞きなれない症状なので、それ故の症状というものはあります。
改めて怪我の状態を説明すると
脊髄から腕に伸びている5本の神経のうち、上から3本の運動神経が脊髄から引き抜け、 他の神経もダメージを負っている状態。 この損傷により、感覚は腕全体にあるものの、肩を動かす筋肉と肘を曲げる筋肉が機能せず、 麻痺による痛みは腕に残っている。
というものになります。
右腕が全く動かせない状態なのですが、腕の神経の大本から死んでしまっているため、 ただ自分の意識で動かせないだけではなく、無意識でよしなに調整してくれる筋肉も動かないので、 本当に腕の形の肉塊がぶらーんとぶら下ってる状態でした。 すごく想像しにくい状態だとは思いますが、例えるならば 肩からヌンチャクをぶら下げている状態に近いかもしれません。
そんな状態でしんどかったことを列挙してみます。
- 運動すると慣性に逆らえずに腕が暴れてしまうので、運動がほぼできない
- 寝返りをしようとしても右腕がついてこないので寝返りができない
- 腕全体にしびれが残り続けている 親指と人差し指はなぜか特に強い
- 肩はすくめる運動しかできず、開いたり腕を上げたりは全くできない
- 肩に腕そのものの重さがかかってくるため、結構痛くなる
この中でも特に辛いのは腕の痺れです。 痛みにも波があるため、普段は全然耐えられる程度には弱いのですが、 つよい痛みが来るとなかなか他のことに手がつけられない程度には苦しみました。 痛みもしびれと言うよりは、個人的に熱のないやけど、と表現するのが近いように思います。 寒さや気圧の影響で強く痛み出す頻度が多い日があったり、寝ようとしているタイミングで痛み出すと、 なかなか寝付けなかったりします。
事故直後は指もまったく動かなかったのですが、なんとかそこそこ動くようにはなっていますが、 手のひらを返す動きがかなり弱いので、まだまだ使い物にはなってくれない感じです。
これから
手術後、移植した神経にパスが通り、使えるようになるため3~6ヶ月くらいかかると言われており、 今はパスが通るまで待っている状態となります。
待っている過程でも、ほんのちょっとずつではありますが、肩周りの安定感が出てきたり、 包帯で固定していたために動かなくなっていた筋肉が伸びてきたりなど、微々たる変化はあるといえばあります。
やはり神経の怪我は言われた通り回復に時間がかかるため、気長にリハビリに取り組んでいく必要があるようです。
(*追伸: 今回の件で家族の大切さを思い知らされましたが、本当に一番辛い問題は介護の際に親とのいざこざで生じた出来事でした。)
右腕神経叢損傷(みぎわんしんけいそうそんしょう) その1
新年初かつ1年ぶりの更新です。
自転車で自爆して右腕が動かなくなりました。
16年10月30日に某ショップの日曜ライドに参加し、横浜中華街を目指して集団走行中に事故を起こしました。 頭を強打したためか事故前後の記憶が吹っ飛んでいるため、いろんな人から聞いた話ではあるのですが、 車が巻き上げたビニール袋がハンドルに引っかかり、それを取ろうとしたらよろけて路肩にぶつかり、街路灯へ顔面から突っ込んだらしいです。 正直「なんなんだよこれ・・・」と思うぐらいに運が悪かったとしか言いようがない事故ですが、事故なんて大体そんなものなのでしょう。
その結果 ・右腕神経叢損傷 ・頚椎棘突起数カ所骨折 ・右ほほ骨骨折 etc… と首から上中心に怪我を負いました。いろいろなところを怪我をしたとは言っても一番上の右腕神経叢損傷が圧倒的に重症で、それ以外は首を固定して時間が経てば治っていくものでした。
その一番大きな怪我である右腕神経叢損傷はどういうものかというと、頸部から腕に行く神経のうち上位3本の神経が脊髄の根元で切れてしまっている、いわゆる引き抜けている状態で、症状は手首から先はなんとか動かせますが、肘を曲げる筋肉と肩周りを動かす筋肉が全く機能しない状態です。 この状態になってしまうと手術によって神経の修復は不可能となります。
直接的な神経の修復が不可能なため、肋骨の神経である肋間神経などの他の神経を移行して腕の機能を再建する手術を年末に受けました。 現在は手術でつないだ神経がくっつくまでの間 (手術後8週間程度)、右腕を胴体に包帯で固定した状態で過ごしており、実際に腕の動きが出始めるまで半年ほどかかると言われています。そこから本格的なリハビリが始まるので、実際に使い物になるまではもっと時間がかかります。
利き手である右手の負傷によって左手での生活を余儀なくすることになったり、神経の損傷ということで治療にかかる時間がかなり長かったり、右腕が本当にどこまで回復できるのか全くわからない状態で、不自由や不安は山積みですが、焦らず自分のできることとやりたいことを見つめ直していこうと思います。
追伸:同情するなら飲みに連れて行ってください。
ぷよらーエンジニア交流会を振り返る
あけましておめでとうございます。 書こう、書こうと思っていたら歳をまたいでしまいましたが、私が去年の春先に企画し、5月と9月に行ったぷよらーエンジニア交流会について振り返ってみます。
ことの発端
当時mayahさんの作ったAIが話題になっていたり、過去にyahooとgoogleのぷよ部の交流があったなどの話を耳にしており、エンジニア界隈でもわりとぷよに興味がある人がいるという情報を小耳に挟んでいました。 そんな中、「そういえばぷよらーでエンジニア職の人も結構いるのに、そのカテゴリでの集まりって面白そうなのに聞かないなぁ」と思ったので、超有名ぷよらーでイベンターとしても優秀で私の大学のOBでもあるぷよまつさんさんに「ぷよらーかつエンジニアで飲み会企画しませんか?」話を持ちかけたところ、「面白そうだね、やろう!!」と即答していただき、運営に取り組みました。
1回目
詳細はこちら:http://auglish.hatenablog.com/entry/2015/05/27/015929 初回はぷよまつさんをメイン、自分が補佐という立ち回りで運営をしていきました。補佐といってもほとんどぷよまつさんに回していただき、自分は宣伝と2次会の会場確保という後ろで先輩の立ち回りを学ばせていただくポジションでした。
振り返ってみるとmayahさんとchokudaiさんが初回にもかかわらず来てもらえたというのはすごく大きかったです。また、ゴールデンウィークにpuyomatsuさん主催であったコンパイル同窓会もあったせいか、コンパイル勢の方々も大勢集まってもらえ、AC勢との交流が中心である自分にとってぷよの集まりなのに見慣れない顔が多かったのが新鮮でした。 また、その後、もりやあこさんがmayahちゃんのイラスト制作に携わるという繋がりもあって、うれしかったです。
2回目
2回目は9月のシルバーウィーク明けに行いました。この回は私がメインに一人でやってみましたが、人生うまくいかないもので、すごくエンジニアっぽいことに8月から炎上していた仕事が9月終盤まで燃え続け、見事にシルバーウィークは焼失し、当日も「祖母の介護があるので・・・」と言って(嘘ではない。ただし午前中で終わった)その日の担当を外させていただいてなんとか参加できたという状況でした。 そのためすぐにまとめられない(まとめたくなかった)事情があったのでうろ覚えながらここでまとめさせていただきます。また、そんな状況だったため、一切写真を用意していなかったことをご容赦ください。
この回は、私個人の采配で企画させていただきました。最初は前回あれだけ人が集まったから今回もうまくいくっしょ〜と思って募集をかけたところ、ぶっちゃけ最初の方は初回ほど参加表明に勢いがなく、仕事でメンタルがやられているのもあって中止っていうのもありかな・・・と考えていました。しかし、せっかく参加表明してくださった方々と楽しくやればそれでいいじゃん! と開き直って募集を続けたところ、16人も集まっていただき、感謝の限りでした!!!(http://twipla.jp/events/161614) IT系のエンジニアが多いなか、前回に引き続き参加してくださったもりやあこさんや、エンジニア職の人に興味があるとのことで来てくださった稲垣ちあきさんらの、エンジニアではないけど話を聞いてみたい! という人の参加もあり、いい刺激になりました。
一次会で行ったお店のつみきは新潟の郷土料理と釜飯のお店で、私が学生時代に働いていた居酒屋の系列店であったため、よく計らっていただき、特別コースを組んでいただきました!感謝!!
盛り上がった話の内容といえば、やはりぷよAIでつい1週間前に人類対AI1000先という正気じゃない企画の当事者が3人もいて、かなり熱かったです。 ぷよ以外の話題でも、技術職の人が多いということで、仕事の話とかでも盛り上がりました(内容はいろいろと問題があるので割愛します。あと詳細を忘れた)。
今回もそのままの流れで二次会に移行したところ、参加者14名とほとんどの人が残った上に遅れての参加ではありましたが、せるばさまの参戦などもあり、一次会と合わせて6時間以上となるかなりの長丁場にもかかわらず、大いに盛り上がり続けました。(二次会中何回か会社から電話がかかってきました。辛かったです。)
ちなみに二次会にてせるばさまとひしゃさん、mayahさんとで「せるばさまがS級進出できなかったらAIと1000先」という賭けをしていたのですが、見事にS級へ進出してこの言葉にできないすごいイベントを回避しました。さすがですね!!
二次会が終わった段階でもう23時ぐらいになっていたので大体の人はここで解散しました。自分も次の日仕事があったため、帰りましたが噂によると三次会でカラオケに行った集団がいたとかなんとか。
開催までいろいろと不安要素はありましたが、なんとか無事楽しんでもらえたため、本当によかったです。
3回目
twipla立てました → http://twipla.jp/events/182114
最後に
一回目、二回目ともに参加していただいた方々に好評をいただき、有難い限りです。しかし、いいイベントとは参加者の協力があって初めて成り立つものであるので、集まってくれた人たちの人柄がよかったためここまでの高評価をいただけたのだと思います。
これからもこの交流会を長く続けていき、よりよいものに昇華させていきたいので、皆様ご協力お願いいたいます!!!
はじめてのぷよぷよ通の対戦の見方
イントロ
初めましての人、初めまして。augです。 ここ数年、RedBull 5GやA級、S級リーグなどでここ数年においてぷよぷよがかなりの盛り上がりを見せており、他のゲームのトッププレイヤーの方々も注目してくれているようで、嬉しい限りな状況がつづいております。本当にありがとうございます。 それに伴って「ぷよぷよやったことないけど見てみようかな〜」と思う方々が増えてきてると思います(きっとそうにちがいない、そうあってほしい)が、このゲーム、わりと見ていて意味がわからないことが多いです。
トッププレイヤー大連鎖の打ち合いや、お邪魔ぷよでほとんど埋まった時の逆転劇などは見ていて圧倒されるのですが、実際はそのような試合は氷山の一角で、それこそ
「なんか2連鎖が刺さって死んだ」 「1Pがなんか連鎖まったく打たずに終わった」
などという、ぱっと見なんとも言えない勝負に終わることが多々有るものです。
今回のアドカレではぷよの対戦を観戦するのが初めての方々が、その辺で何が起きてるのかについてざっくりなんとなくわかるぐらいになってもらいたいな〜という目的で、自称万年中級者の私が、対戦の際の見どころをつらつらと語っていきたいと思います。
ぷよ対戦の基本
はじめに対戦の大きな目的をざっくり言うと
連鎖を作ってお邪魔ぷよを送って邪魔して相手フィールドを埋める
となります。
ここで一番重要なのが「連鎖の構築」で、如何に連鎖を作って如何に連鎖を状況に応じて使っていくのかが試合の鍵となっていきます。
ぷよ通の対戦において、連鎖構築力やぷよの操作力、相手フィールドの状況判断力(俗に凝視
と呼ばれるもの) などの様々な技術が必要とされ、それぞれいくらでも語れるぐらいに奥深いものなのですが、ここでは起点となっている連鎖
について取り扱っていきます。
連鎖の見どころ
個人的にぷよの連鎖の見どころは大きく分けて
- 連鎖の威力
- 連鎖が終わるまでかかる時間
の2つがあります。
正直最初は先に打った連鎖が終わるまでに打たれた側が連鎖を発火できるか!?!? 連鎖を相殺して打ち返せるのか!?!? ドキドキ!?!?みたいな感じでみるといいと思います。
この二つのバランスを状況によって調整して連鎖を打って、相手が連鎖を打ってきたら連鎖が終わるまでに如何にして相手の連鎖の威力を超える威力の連鎖を作って発火するか、というのがぷよぷよ通の醍醐味だと私は思っています。
対戦中の相手のフィールドの状況を判断して、相手が発火するためのぷよが引けないタイミングに隙を突くように短い連鎖を打ったり、相手が打ってきた連鎖に対して有利になる威力の連鎖を作って発火して、細かい連鎖を相殺させあった上で大連鎖を発火して・・・、という超上級者の嵐のようなやりとりを是非ともS級リーグで楽しんでください!!
まとめ
いろいろ何をやっているのかを理解するのも醍醐味の一つですが、「このプレー、よくわからないけどすごい!!」という素直な気持ちを第一に楽しんで観戦していただきたいです。
ぷよ界の未来に栄光あれ!!!!
第0回 ぷよらーエンジニア交流会
ことのはじめ
先日、5月23日にぷよらーエンジニア交流会というものを企画させていただきました! 今年の春先になんとな〜く「googleとかYahooにぷよ部があるとかいう話を耳にした事あるし、エンジニアの習性として勉強会を建前とした飲み会が好きな人多いから、ぷよとエンジニアのくくりで人集めてみたらおもしろいんじゃね?」と思って、大学の先輩であるぷよまつさんに持ちかけたのが、ことの始まりでした。
当日 -----[ 「普段仕事の話が表に出て来ないぷよ界でそう言う話ができる場を作りたい。また、ぷよぷよのくくりでもプレイヤーとコンテンツが好きな層との交流もできたら、もっといいな。」 という思いをテーマとしてこの交流会を立ち上げたところ、当日参加者が20+1名と予想よりもはるかに多い方々に集まっていただき、嬉しい限りでした(企画段階、ぷよまつさんと現実的に5人でしょ、10人集まれば大成功でしょ、と話し合っていたので本当にびっくりしました)。
参加してくださった方々(順適当)
- hebo-MAI(二次会から)
- くずみん@同窓会っ!
- ルイン
- srtk86
- ハジメ
- / くつき_くれむ.eXe /
- 飛車ちゅう
- どでか
- SQ.cpy
- 民谷 啓
- もりや あこ
- ひろみちゃん
- mayah@2015年中に人類終わらす
- 杉浦ゆう@ベトゥム本執筆者募集
- ともより
- 高橋直大(chokudai)
- ./takerun@コンナイSUNわんこ
- れそ
- auglish
- ぷよまつ@6/13-14仙台ぷよ
参加していただいた人たちも、一口に「ぷよが好きでエンジニアリングに興味がある人」といっても様々で、プレイヤーからコンパイル時代からのファンだったり、仕事においても競技プログラミングの最前線で活躍している人やSIer、ハードのシステムの組み込みやっていたり、ヤクザのゲームをつくっていたり、フリーランサーでシステム開発やイラストレーターをやっている人、社長や役員など多岐にわたって活躍している人が集まりました。 また、バリバリ仕事をしている人ばかりではなく、4月から新卒で東京に上京してきたAC勢の方や、ぷよらーと関わりたくてわざわざ名古屋から来てくれた学生(Q2行けよ・・・)などフレッシュな方も来てくれました。 「あれ、自分場違いじゃなかったですかね?」と本職エンジニアでないがために危惧していた人もちょいちょい見かけましたが、いいんです。むしろ、来てもらえた方が会話や文化の幅が広がるのですごく助かりました。
一次会
一次会は最初に自己紹介を軽くして、その後歓談という流れで行われました。 それぞれの人の自己紹介があった中、いろいろな理由があったもののダントツで多かったのが「AIについて興味があった」で、次が「競技プログラミングに興味があった」という理由でした。お目当てとされた二人も主にぷよAI/競技プログラミングの布教に来ていたのでまさにwin-winな企画に! また、5月頭に行われていたコンパイル同窓会に参加していた人もかなり多かったです。本当にmayahさんとchokudaiさん、そしてぷよまつさんには頭が上がりません。感謝の極みです。
1時間の自己紹介ののち、歓談へと入ったところ、やっぱりぷよAI作成者の代表格なだけあって、mayahさんのAIのPC上でのデモは盛り上がってました。何か聞くにしても気構えることなくいろいろ聞けて有意義でした。
一次会はAIで盛り上がっていたものの、全体的にはわりかしお互いの仕事の話のほうが飛び交っていたように思えました(あくまで俺自身が把握している範囲では、の話だけど)。 あっという間の2時間の歓談でしたが、ぼっちも特に発生することなくすごくいい感じに時を過ごせたのって本当にすごいと思いました。
]
二次会
一次会が終わり、二次会へ移動したのですが、残ったメンバーが - hebo-MAI(二次会から) - くずみん@同窓会っ! - / くつき_くれむ.eXe / - 飛車ちゅう - どでか - もりや あこ - ひろみちゃん - ともより - ./takerun@コンナイSUNわんこ - auglish - ぷよまつ@6/13-14仙台ぷよ 以上11人と、半数も残っていて驚きました!! またここから、あの有名なhebo-Mai氏が参戦してくれました!!
二次会は大きく二つの卓に分かれたのですが、ぷよまつさん側の卓はコンパイル同窓会の、私側の卓ではぷよ対戦の話題という、ぷよらーなのにぷよの話をちゃんとしているという面白い(?)話題で盛り上がっていました。 また、hebo-Maiさんのテトリスへの情熱の凄さや就活に苦戦してる思いを語っていただき5Gファイナリスト以外の一面も見れておもしろかったですw また、飛車ちゅうさんがなぞぷよの布教に精を出しており、そちらでもかなり盛り上がっていたみたいです。 ぷよの集まりなのに本当にぷよの話に花が咲いていました。不思議ですね。 二次会でも話題が尽きることなく、気づいたら23:00を過ぎている、という白熱っぷりでした。
解散・・・のはず・・・
ここで宴もたけなわとなり、名残惜しいが解散でした!! ・・・となればいいのかもしれないですが、この会も例にもれずりべった*人が出現しましたね... (りべった:終電を逃したこと。ぷよらーのliveさんが昔よく終電を逃していたことが由来とか) というわけで
のメンバーでカラオケオールという大学生もびっくりの長期戦へ突入しました。 わりと残ったメンツがカラオケモチベ高めだったのか、お酒ではなくフリーのソフトドリンクを頼み 、延々とデンモクを回して全員しっかり歌っていました。 個人的にがっつり好きな曲を心置きなく選べるカラオケが久しぶりだったのですごくたのしかったですよ。
というわけで三次会参加者は16:00~5:00の13時間にも及ぶすごく長い交流会となりました(二次会でも7時間以上)。 次の日、私は9:00から諸事情によって山梨へ行っていました。楽しかったけど、体力的に死にそうでしたwwww。
今思い返してもすごく楽しくて有意義なイベントだったと思うので次回(2,3ヶ月後に開きたい!!)も是非行いたいと思います. その際は、参加者の方、一人あたり一人のお友達を誘ってください(マルチ商法じゃないよ!!)。
P.S. 「メモリ管理は息を吸うようにできないと」という言葉が一番心に刺さりました。そういうことができるエンジニアを目指します。
opensslとsnakeoilでの証明書作成について比較をする
2/20
開発環境作成においてssl証明書が必要だったが、wikiに書かれていた方法が開発環境に本番の証明書を持ってきて使う、という危険極まりないものだったので自己証明書を使って代用することになった。"httpでいってしまえ” という案もあったが、開発時は楽でいいけど、HTTPSにしたら動かない問題とかありがちだったりするのでちゃんとhttpsで開発できる環境を整えた方がいいとのことから。
そのssl証明書の発行方法だが、幾つか手段があるみたいでopensslを使って発行する方法とssl-certで作成したsnekeoilを使う方法が見つかったので、それらの優位性などを比較してみる。
openssl
コマンドはこちら
$ openssl genrsa 2048 > server.key $ openssl req -new -key server.key > server.csr $ openssl x509 -days 3650 -req -signkey server.key < server.csr > server.crt
これで実行したディレクトリに
が生成される。 2つめのコマンドを実行した時にいろいろ入力を求められるが、全部未入力でもちゃんと動いた。 大きな欠点は見つからないが、作ろうとしたディレクトリによっては書き込み権限を付与してやらないといけないのがちょっとめんどくさいかもしれない。
snakeoil
コマンドはこちら
# apt-get install ssl-cert # make-ssl-cert generate-default-snakeoil
これで
/etc/ssl/private/ssl-cert-snakeoil.key --秘密鍵 /etc/ssl/certs/ssl-cert-snakeoil.pem --サーバ証明書
が発行される。 これだけでも特に問題はなかった。 思考停止でつくるにはsnakeoilを使う方法に軍配があがるように感じた。
余談だが、snakeoilの名前の由来はsnakeoilが「いかがわしい万能薬」という意味だからとのこと(http://www.hotfix.jp/archives/word/2005/word05-33.html)
結論
以上をふまえると、秘密鍵と証明書はどちらで作っても問題なく機能していたため、安定して同じディレクトリに秘密鍵と証明書が作られる、値の入力が必要ないの点からsll-certでsnakeoilを発行したほうが簡単に作れる。
正直sslに対する自分の知識がまだまだ浅いので、これを機会により深く身につけていくのはありだと思っている。
参考にしたHP